映画(胎動)のS21-25の撮影を終えて感じたこと云々

遂に遭遇の撮影の東京エリアでの撮影が終わった。

全体の映画の中では一番最後のシーンとその前のシーンになる。

元々この企画は映画の創作過程を共有して、という触れ込みで始めたものだった。

何故なら自分は現場が大好きだった。大の大人が子供の様に無邪気に映画や演劇を作っているあの現場が、、、ただいつの頃か現場の雰囲気、体制が変わり始めていた。
ある種のパターン創作になっていく、無邪気さがなくなっていく感じがあった。大人が子供でなくなった。大人が大人になってしまった。それがこの企画を始めたきっかけだ。

映画の造る価値、創作で気をつけている事などをもっとシェアしてみんなに分かってもらおうよ、という事でかれこれ2年前始めた。

その間に第1作「遭遇」を作った、これはviddseeで見ることが出来る。https://www.viddsee.com/video/encounter/nb0yc
viddseeスタッフのニッキーさんに声を掛けてもらったのが始まりだった。
「あなたの作品は面白い!」是非プラットフォームに載せませんか?と

そんなメールの文章だったのを覚えている。人に「面白い」言って貰えることがこんなにも嬉しいことなのか、とその時思ったのと何の為に造るのか?の意味が少しわかったような気がした。

で今回の撮影である。

全体の映画の流れの中でそのシーンはどういう役割になってるか考えながら取り組み、今回の撮影では役者さんになるべく自由に演じてもらい、日常会話でナチュラルなシーンになるように演出した。

映画の中でのナチュラルと日常の中でのナチュラルは違うとブレッソン氏や小津氏の映画で教わった。しかし実際となるとやはり日常ナチュラルに引っ張られてしまう。

映画の中でのナチュラルとは何だ?とまだ探ってる所もあって撮る度に奥が深いと思う。

このシーンは実は緊張感があるシーンである。
緊張と緩和を交互におりまぜることでより緊迫感が出せればいいなと思っている。


緊迫感を際立たせるためには緩和の部分がどうしても必要になってくる。緩和が大きければ大きいほどギャップが大きいほど緊張感が出るのではないのか?その緩和をどのようなスタイルでどのように出せばいいのか?
みたいなことを考えながら撮影していた感じがする。

残りは福岡で宇宙人の集まりのシーンを撮影したら映画「胎動」はクランクアップ。

撮影しながらも色んな事が世界中で起こっており、結局人類は100年そこそこしか生きない中でその限られた人生の中でどの様に生き、またどの様なことを後世に残して行けるのか、


そしてそれを銀河系の何処かにいる宇宙人はどの様に観ているのか、が映画の主題になってきた気がする。

チーム: Live film Pj
T.k


S21
<cast>
(Odajima)Masayosi Okayama
(Kanai)Keisuke Makihara
(Doujima)Takuto Nagayasu
(Ema)Sydney Stampher
(Sakamoto) Kai

<staff>
(Cinematographer ) yuji
(Assistant director) Tatuya sou
(Sound recording, Director) Teruki Kitazawa

S22-24
<cast>
(haruka) Ayumi Miyadou
(Ayumi) Kaori Iwamoto
(Satoshi) Arata Sugikawa

<staff>
(Cinematographer ) yuji
(Sound recording ) Yonetarou Shimizu
(Director) Teruki Kitazawa


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